ネパールの歴史
ネパールは小さな国です。
国土は日本の3分の1、人口も日本の5分の1で2,600万人しかいません。しかし、ネパールは昔よりずっと独立を守ってきた国です。
過去においては、いくたびも外部の敵との衝突もありましたが、山岳地帯である天然の要塞にも守られ、その侵攻をよく防いできました。
ネパールの歴史は大きく分けると、古代のリッチャヴィ王朝(4~9世紀)、中世のマッラ王朝(13~18世紀)、そして近世のシャハ王朝(18世紀~現代)に区分されます。
近世少し前の16~18世紀のネパールは、40以上の小国が割拠していました。その中から頭角を現しネパールを統一したのはブリティヴィ・ナラヤン・シャハ王でした。
1769年にシャハ王は、当時3王国が争っていたカトマンドゥ盆地を平定し、シャハ王朝を築きました。その後も領土を拡大して、その勢力は現在のインドの北部やチベットにまで及びました。しかしその勢力の拡大は、隣接する当時の清国や、インドにイギリス東インド会社をもつ英国を刺激することになり、清国や英国植民地軍の反攻を招き、清国及び英国とも戦火を交えることになります。
グルカ戦争(1814~1816年)と呼ばれる英国植民地軍との戦いでは、7,000名の英国軍に対して、シャハ王朝軍側はわずか900名の兵で戦ったと云われています。しかし、シャハ王軍はよくその戦いその奮戦により、領土も併合されることなく独立を守ることができました。
その後も、さまざまな策略を用いて周辺の国々から国土を守ってきたこのシャハ王のことを、ネパールの人達は「愛国王」と呼び今なお尊敬しています。
1846年になると、ジャンガ・バハトゥル・ラナ将軍が実権を握り、国王を有名無実なものとします。その後の約一世紀の間は、ラナ将軍一族の専制政治の時代になります。
1951年、反ラナ勢力をバックとするトリブヴァン王の王政復古により、ラナ専制政治は終焉をむかえ、130年以上も続いた鎖国も解かれて、政党制政治が始まります。
しかし、この政党政治も短期間に何度も内閣の交替が続くなど、政権が安定せず、1960年には、マヘンドラ国王がクーデターを起こし全権を掌握します。国王親政体制(バンチャーヤット体制)の始まりです。
1972年に王位を継いだビレンドラ国王は、バンチャーヤット体制を継承し国王親政体制を強化しますが、これに抗議して1979年に、全国規模で反政府運動が起こり、1980年にはバンチャーヤット体制存続の是非を問う国民投票が行われました。
結果は僅差でバンチャーヤット体制が勝利し、バンチャーヤット体制はかろうじて存続することになります。
1989年年以降は、ネパール会議派と共産党が、バンチャーヤット体制打倒をスローガンに共闘を組み、反政府運動を活発化させていきます。
この反政府運動は、当時のベルリンの壁の崩壊などの世界的な民主化運動の潮流を追い風にして、市民を巻き込んだネパール民主化運動へと発展していきます。
1990年、ビレンドラ国王はバンチャーヤット体制を廃止し、議会制民主主義の実施を余儀なくされます。議会制民主主義のもとに新憲法も発布され、新憲法には主権在民やネパールが他民族国家であることが初めて明記されました。
このようにビレンドラ国王のもとの立憲君主制に移行することになりますが、1996年に、国王による立憲君主制に対抗して、マオイスト(パール共産党毛沢東主義者)が台頭し、各地でのストライキ、警察署の襲撃、一部地域を占拠するなどマオイストの武装闘争を激化させていきます。
2001年6月、ビレンドラ国王がその家族と共に殺されるという世界を驚かせた事件が勃発しますが、ビレンドラ国王のあとを継いだギャネンドラ国王は、ますます激しさを増しているマオイストの活動に対する規制を強化して、取り締まりを一層厳しくしていきます。
2002年には、ついに議会を解散して事実上の国王による直轄統治の政治を開始します。
さらに2005年には、ギャネンドラ国王は王室ネパール軍を率いて、クーデターを断行、首相も解任し実質的に自らが全権を掌握します。同時に緊急事態令を発令、基本的人権の制限、報道に対する検閲なども実施しました。
これに対抗して、政党とマオイストは連携して事態の打開策を模索、2005年11月に、両者は制憲議会選挙などの基本事項で合意に達し、国王からの政権奪取を目的とした抗議運動を開始します。
国王政府側は関係者を逮捕するなど取締まりを一段と強化しましたが、反国王派は、抗議集会やゼネストを全国規模で展開するなどその活動を一層活発化させていきます。これに伴い抗議運動に参加する民衆の数も日毎に増えていきました。
2006年4月、ギャネンドラ国王はテレビを通して、2002年以来解散させられていた議会の復活を宣言します。これは国王の事実上の敗北宣言でもありました。
復活した議会は、国王の政治、軍事への権限を廃止、マオイストのテロ指定を解除し、マオイストに対する無期限停戦などを発表しました。
長い闘争の後に、ネパールにもやっと和平への道が開けてきました。
2006年4月11日には、議会の7政党とマオイストの間で、歴史的な合意が成立します。合意に基づき、マオイストを含む8政党による暫定議会が設置され、暫定憲法も制定されました。
2008年4月には、制憲議会選挙が実施されマオイストが第一党となし、同年5月28日の初議会で連邦民主共和制への移行が宣言され、王制は廃止されました。


ネパールってどんな国...





